祇園祭 山鉾その1「長刀鉾」

今回はそれぞれの「鉾」に焦点を当ててみたいと思います。最初は「長刀鉾(なぎなたほこ)」です。「くじとらず」として毎年山鉾巡行の先頭を歩き、生稚児が乗るの鉾としても知られています。鉾の頂上に三条小鍛治宗近作の大長刀を飾ったことが鉾の名前の由来になったといわれています。現在は模型の長刀ですが、その正面が八坂神社や平安御所に向かないよう南向きに取り付けがされています。

長刀は宗近が娘の病気平癒祈願のために奉納しました。しかし、強力無双の源氏の武将・和泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)がこの太刀をを懇望し、一時は愛用します。しかし、何かと不思議なことが起こるのため、神仏を私する非を悟り、宗近に返納したと伝えられています。また、1522年に疫病が流行した際、この長刀を飾ったところ疫病が治まったという話もあるそうです。何かと気になるこの大長刀ですが、実物は町に秘蔵されているので実際には見ることができません。特別な機会があれば、一度は見てみたいものです。

生稚児が乗ることで知られる長刀鉾ですが、江戸時代までは船鉾(ふねほこ)以外のすべての鉾に生稚児が乗っていたそうです。天明の大火で壊滅的な被害を受けた函谷鉾(かんこぼこ)が、天保10年の復興の際に稚児人形を用いたのを皮切りに、他の鉾もすべて人形に替えていったそうです。8~10歳ぐらいの男子が選ばれ、祭りに際しては長刀鉾町と養子縁組し、6月中の大安に結納が贈られるそうです。また、2人の禿(かむろ)も選ばれ、すべての行事に稚児のお供をします。

17日の山鉾巡行の日、稚児は厚化粧天眉をし、金銀丹青鳳凰の冠を戴き、衣装は雲龍の金襴赤地錦の二倍織表袴、鳳凰の丸を浮織した帯状の木綿手繦(ゆうだすき)を左肩から右腰にかけます。これは神に仕える装束の一つです。神の使いとしての稚児は公式には地上を歩かず、屈強な強力が稚児を肩に乗せ鉾の上まで昇ります。ハイライトは稚児による「注連縄切り」。四条麩屋町に差しかかったとき、通りを横切って張られた約25メートルの注連縄を稚児が太刀で切り払い、神域へと入る道を開きます。注連縄は神域との境界を示しているんですね。また、四条河原町や河原町御池で方向転換する「辻回し」も見所のひとつ。高さ約25メートル・重さ12トンの巨大な鉾が割竹と水と人の力で一気に向きを変えるさまは圧巻です。

祇園祭前日の宵山に長刀鉾を見に行きましたが、やはりすごい人だかり。写真を撮るのも一苦労でした。長刀鉾は女人禁制なので鉾に上がることはできないのがとても残念。これも「伝統」ある祇園祭ならではなのでしょうね。

山鉾保存会名:長刀鉾保存会
住所:下京区四条通烏丸東入長刀鉾町26番地
囃子方:長刀鉾祇園囃子保存会(http://www.naginatahoko.com/