小野篁&紫式部お墓参り

京都市北区に小野篁と紫式部の墓所があります。交通量の多い交差点のすぐ脇にひっそりとした入口があります。

何故、二人の墓が並んでいるのかは詳細は不明ですが、14世紀中頃の源氏物語の注釈書『河海抄』にある「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」という記述が、紫式部墓所特定の根拠になっているようです。これには「紫式部がみだらな『源氏物語』を書いたことで、仏教の妄語戒を破った大罪人として死後に閻魔大王の前に引き出された際、閻魔法王の補佐役をしていた小野篁が取りなして救った」という摩訶不思議な伝説も遺されています。

墓所入口には「紫式部」が可憐に実っていました。晩夏〜初秋に紫色の実をいくつも重ねて結実させることから「紫重実(むらさきしみ)」と呼ばれていたのが、いつしか語呂合わせとその可憐な趣きから「紫式部」と呼ばれるようになった熊葛科の低木です。

紫式部は、平安時代の女性作家です。百人一首に「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」が選ばれていますが、それよりも『源氏物語』の作者として有名です。最近ではめっきり見かけなくなった2000円札にも紫式部が肖像に使われています。

小野篁は、安倍晴明以上に摩訶不思議な伝説が数多く遺されている平安時代の人物です。小野小町の祖父にあたり、百人一首にも「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」を遺す歌人ですが、従三位参議として宮中に仕えるも遣唐使乗船拒否や朝廷批判をするなどその反骨から「野狂」とも呼ばれていました。彼は夜が更けると「六道珍皇寺」と福生寺にある井戸を通って地獄へ行き来し、閻魔大王の裁判補佐をしていたそうです。「矢田寺」にある「代受苦地蔵」、「上善寺」他6カ所にある「六地蔵」も小野篁の作とされています。また「千本ゑんま堂」は篁卿自ら閻魔法王の姿を刻んで建立した祠が開基とされています。千本通周辺は平安京三大葬送地の「蓮台野」入口にあたり、当時は数千本の卒塔婆が立ち並んでいたそうです。とにかく多才で謎が多く風変わりな性格から、現在でも多くの人々に敬愛されていて怪奇小説やTVゲームなどにもしばしば登場します。

ここは京都の隠れパワースポットかもしれません。有名で人気になり過ぎたパワースポットには人々の欲念が溜まっていて、逆に運気を下げてしまうこともあるらしいので、もしかしたらこの隠れパワースポットを参拝するのも良いかもしれませんね。

小野篁卿墓/紫式部墓所
住所:京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)
後援:社団法人紫式部顕彰会
ホームページ:http://homepage2.nifty.com/murasaki_shikibu/
拝観料:無料
駐車場:なし