粟田神社「粟田祭 夜渡り神事(大燈呂巡行)」

2012年10月6日〜10月8日のあいだ、粟田神社では「粟田祭」が行われます。10月7日の夕方から「夜渡り神事」がありました。

17:30に粟田神社の本殿で出発祭が行われます。夜渡り神事には御神輿は参加せず、一行の中心は「阿古陀鉾」と「地蔵鉾」になります。秋の夜に聴く剣鉾の澄んだ鈴音は風流で心に染みます。出発祭が終わると神社参道を降りて大松明で道中の穢れを祓いながら「瓜生石」のある知恩院黒門前を目指します。

今から400年前の天正年間のある夜、青蓮院御門内にあった「瓜生石」に社名の入った金札が現れたという伝説が残っています。当時の社名は「祇園感神院」です。明治時代に改称されるまで「八坂神社」は「祇園感神院」で「粟田神社」は「祇園感神院新宮」でした。

「粟田大燈呂(あわただいとうろう)」は3メートル〜5メートルもある大きな山車燈籠です。室町時代に書かれた山科言継『言継卿記』に「前代未聞、驚目事也」としてその姿が記録されており、東北ねぷたの原型の一つとも言われています。現代の大燈呂は、粟田神社の由縁に沿った8基(八岐大蛇、法然上人、相槌稲荷、素戔嗚尊、聖天、出世蛭子、櫛名田比売、山越えの弥陀)を京都造形芸術大学の学生が制作して曵いています。簡単な絡繰りも施されていて口や首が動きます。

粟田神社を出発した一行は18:30頃に知恩院黒門前で神仏習合の「れいけん祭」を行います。「瓜生石」の前で粟田神社神職によるお祓いと知恩院僧侶による読経があり、古門前通には大勢の参拝者が並びます。神仏習合は今でこそ珍しくなりましたが、明治時代の強引な廃仏毀釈までは普通のことでした。

神秘が漂う要石の「瓜生石」には諸伝説が残されていて、貞観2年にこの石から一夜にして木瓜が実り、天上から祇園精舎の守護神「牛頭天王(ごずてんのう)」が降り立ち、木瓜の実に「牛頭天王」の文字が現れたとされています。その後に藤原基経が一帯を祇園精舎に見立てた仏道の修行場にしたことで、この一帯が「祇園」と呼ばれるようになりました。粟田神社と八坂神社の祭神である「素戔嗚尊」は「牛頭天王」と合一視され神仏習合の「祇園大明神」とされていました。この素戔嗚尊の起源については興味深い説が多いのでぜひネットや本で読み調べてみてください。

「れいけん祭」が終わると一行は氏子市中を巡行します。粟田神社の氏子会には「一澤帆布製」「信三郎帆布」のタグで有名な「一澤帆布工業」などがいます。

大燈呂は翌日の神幸祭の巡行にも参列しますが、夜に明かりを点して曵くのはこの「夜渡り神事」のときだけです。粟田神社の祭事とは全く別にPR目的として、毎年3月に京都市東山一帯で催されている「東山花灯路」の夜にも知恩院三門前に大燈呂が展示されます。

粟田神社「粟田祭」
夜渡り神事:2012年10月7日17時30分〜21時頃まで
住所:京都市東山区粟田口鍛冶町1
TEL:075-551-3154
ホームページ:http://www.awatajinja.jp